じめじめとした梅雨の季節が近づいて来ると、決まって想い出すことがある。むかし住んでいたアパートの向側の家の庭先に、少し大きめの葉を茂らせ、花は小ぶり、色はアオ紫の紫陽花のことを。
ある朝、突然それは始まった、「おはようゴザイマス」、優しげな女性の声で後ろから挨拶されたのだ。振り向いて見たが誰も居ない。「気のせいか」、次の日も、また次の日も、声が聞こえる。
「まさかあの紫陽花が話しかけて来ているのか?」、すると、「やっと、気づいてクレマシタネ」、紫陽花が話しかけて来たのだ。「!!」、驚きで声も出ない。
紫陽花との会話は何年か続き、すっかりと打ち解けたある日、「いまマデ、楽しかったデス、有難うゴザイマシタ」、まるでもう逢えなくなるようなセリフ、胸騒ぎがした。
会社が終わり夜アパートに帰ると紫陽花の木が根元から伐採され、無くなっていた事に気付く。胸騒ぎは当たっていた。「ちゃんとサヨナラを言えなかった」、今でもこの季節が近づくと想い出す。「サヨウナラ、紫陽花」、また会う日まで。
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